速読をするときに目次を最初に記憶すべき理由とは?
目安時間
5分
速読をするときに目次を最初に記憶すべき理由について
単位時間当たりに、読書できる数って、多いほうがいいに決まっているじゃないですか。
様々な速読法が世にはありますが、目次に関しては、2流派あります。
一つは、【目次は、必ず徹底的に覚えるくらいに読み込め】
という流派で、
もう一つは、
【大事なことは何度もでてくるのだから、目次を読むのは時間の無駄】
という流派です。
目次に限らず、全く反対のことが堂々と書かれていることってありますよね。
そういうときって、どっちが正しいのか、よくわからなくなります。
有名な命題でいうと、
・絶対的な真理真実は存在するのかしないのか
というのがありますね。
絶対的な真理真実は存在します
でも、「絶対的真理なんて存在しようはずがない」という哲学者も多いです。
でも、それであれば、「そんなものは絶対に存在しない」という命題自体も真理真実であるとはいえなくなり、その仮定自体に自己矛盾をはらんでいます。
「いや、違うんだよ、だからわかってないんだよねーきみ。」というふうに哲学者は話を展開するのですが、
真理真実が存在するということ自体は、何も間違っていません。
このように、哲学者は、合っていることも間違っていることもこねくり回して、裏付け理論無しに議論を展開することになり、
極めて時間の無駄になるので、私は、哲学はしないことにしています。
ところで、本題に戻りますが、目次は先に読んだほうがいいのでしょうか。
読まないほうがいいのでしょうか。
速読の本によると、【目次を先に読め】というほうが多数派ですが、実際のところ、どうでしょうか。
結論からすると、目次は徹底的に読み込んで記憶するぐらいまでにした方がいいです。
でも、目次は読まずに本を初めから終わりまで通して繰り返し読むことによって、重要な所は自然とわかるようになったほうがいいというふうに書かれている本もあります。
そこで、今回、目次を飛ばして読んでみることにしました。
するとどうでしょう。
本の全体像が頭にないため、いきなりジャングルに入ってしまった感じで、
最初から最後までそのような感じでした。
結局、「何のことだっけ?」と何回も読みますが、最初についた「よくわからん」という印象は非常に強く、
最初に目次さえ読んでおけばよかったのだ。。という後悔感満載となりました。
どこか見知らぬ土地を旅行する場合、必ず地図を見ますよね?
最初は、出発地から目的地までの両方が地図に収まった大範囲の地図を見ます。
そして、適宜、どこで飛行機やバスを乗り換えるか、どこの交差点で曲がるか、といった情報へと落とし込んでいくのではないでしょうか。
読書もそれと同じです。
「これを読んだら、どんな目的を達成できるのか」ということについて、
読書前に決めておき、
読書用の地図をしっかり頭に入れておくことによって、
今まさに読んでいるページでも迷子にならずにすみます。
そして、読んでいるすべての情報を、その目的に繋ぎ合わせて、
理解し、そして記憶に留めておくことも非常に楽にできるようになります。
というわけで、速読によって、たくさんの情報を短い時間内で取り入れようとする場合は、
目次を読むようにしましょう。
目次は、読書における、「地図」です。
地図無しに、旅行にいったら、さまよいますよね。
もちろん、それが目的でいくというのも一つの楽しみであるという人はいるかもしれません。
「この本を読んだら、どんな世界に連れて行ってくれるのだろう」という感じで。
でも、このメルマガでは、効果的な勉強法、真理真実の探求を目的としていますから、
私達が使える時間は限られています。
最短時間で最大の学習効果を得られるようにするために、
目次を覚えるぐらいに頭に入れてから読書をしましょう。
もし、そのハードルが高過ぎて、読書のステップまで行けないとなると、
それはそれで問題なので、覚えられなくても、全体を読むというステップに進んでもOKですが、
ともかく、最初に目次は読むということを忘れずに読書から最大限益を得ていきましょう。